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私たちがどのような過程や経験を通して、イエスを自分の神として信じるようになったのか。そんなお話しをする
ことをクリスチャンの間では、
〔救いの証し〕と呼んでいます。
NGCにやって来る多くの人がそれぞれに、イエスの存在を個人的に体験し、聖書に書かれていることは真実であ
るという確信に導かれています。
イエスが本当に神なのか探求している方、信仰は持っているけど近ごろ元気がなくなっちゃった人、ただひたすら
に神様をもっと賛美したい人―。
皆さんが今どんな状況にあろうとも、神様がNGCの仲間の証を通してあなたの心に大きくふれて下さいますよう
に...
私は8人家族、4人兄弟の長男として生まれました。幼い頃の私は内向的性格であったため、他の子供たちと遊ぶのがうまくありませんでした。家の中では妹や弟を相手に楽しげに遊んでいましたが、ひとたび外へ出るとかなりの人見知りをしていました。そのような中で私が選んだ心の支えは「道徳」でした。他の人の見ていないところでも何か良いことをしていればその報いがあるはずと信じました。対人関係の中でうまく自己表現できなかった私は、道徳を遵守することで自分らしさを表そうとしたのです。目で見えることにおいて劣等感を感じることは多々ありました。ある子は私の持っていないおもちゃを持っていたりしました。ある子は運動が優れていたりしました。しかしそのような子を見るとき、私は自分に言い聞かせていました。「自分は彼らと違って日頃良い行いをしている。掃除は真面目にやるし、授業は真面目に受けている。それに皆がやっている悪いことも自分はやっていない。」と。事実私は今でもタバコは吸いませんし、ゴミを道に投げ捨てたりはしませんでした。
しかし昨年、私は自らの支えであった道徳を自らの行いによって犯すこととなりました。確かに小さな部分においてはすでに道徳を守れていなかったわけですが、その時決定的に道徳に背くこととなりました。その時私は自らの基盤を失い、そればかりでなくそれまでの支えであった道徳に心が責められるようになりました。自らの力でその罪を償えないことが私に絶望をもたらせました。生きる限り、また死して後もこの罪にしばられてゆく思いがしました。
Come, check us out!
We'd love to get to know you better and worship together.
最も私が生きる希望を失っていたとき、神様は1人の青年を用いて私にキリストの福音を伝えて下さいました。彼はシンガポールから福音を伝えるために日本に渡って来ていたルーク・マンチョンでした。彼は日本語がわかりませんでしたので、私はほとんど彼の言っていたことがわからなかったのが実状でした。しかし彼はそれでも福音のタネを蒔いてくれました。学校の芝生の上で彼が伝えてくれたことは、神が私を愛して下さっていること、しかし私の心が神様を認めようとしなかったためその恵みが受けられなかったこと、そして罪人である私を神様の前にたたせるためその罪の身代わりが必要であったこと、それがキリストの十字架であったこと、でした。
その時はなぜキリストの十字架が罪を消すのか全くわかりませんでしたが、次の聖書の言葉は心に残りました。エペソ人への手紙2章8、9節にあります。
「あなたがたは恵みのゆえに信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たことでなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。誰も誇ることのないためです。」
それまで行いにより自らを義としていた私、そして恵みは天よりのものでなく自分自身より出るものと信じていた私、そしてそれゆえに罪に苦しんでいた私には全く価値観が逆の世界でした。
そして更に聖書の言葉は私を救いに導いてくれました。ローマ人への手紙5章20節にあります。「しかし罪の増し加わるところには恵みも満ちあふれました。」私を苦しめていた罪は恵みへと変えられるという約束です。神はこのような罪深い人間を赦され、このようなもののために命を捨てられ、このようなものを義とされました。このようなことはかつて聞いたことはありません。人の作り出した価値観は私を責めました。道徳も仏教も私を不義な者と裁きました。唯一神、イエス・キリストだけが手を差し伸べて下さったのです。
私は今、神様に愛されています。その愛の故に多くの人を愛せるようになりました。かつて自らの行いを支えにしていた私は、そのため多くの人を行いで裁いていました。今は完全にではありませんが、少しずつ嫌っていた人、疎んでいた家族、憎んでいた友人を愛せるようになってきました。自分を嫌っている人がいることを知っています。でもその人たちのことを思い、祈ることができるようになりました。全て初めに私を愛して下さった神様の恵みです。
皆さんの中でまだ神様の愛に気付いてない方がおられるかもしれませんが、神様はその愛を無条件で与えて下さいます。どうかそのような方はその愛を求めて下さい。神様は必ずその思いに応えて下さいます。
この教会に初めてきたのは2006年の7月16日でした。 その時私は、聖書に書かれていることを知りたいと思っていました。 これがこの教会に来た理由です。
20代の中頃、抱えている問題をどのように解決するかという本を読んでいました。 これらの本の中に、いくつか聖書の言葉がありました。 しかし、その時はそれらの意味が理解できませんでした。 しかしながら、私は何かあいまいな存在に祈っていました。 私は、何に祈っているかわかっていませんでした。 私は、日常生活において問題にぶつかると、 動揺したり、不安になっていました。
Want to find out more?
The Bible is a good start. Let us give you one as a present. Just come and ask for it!
30代半ば、会社にクリスチャンがいることを知りました。 その人は同じ職場の人でした。 その人が毎週日曜日、教会に通っていることを知りましたが、 ほとんど宗教や神様のことについて、話すことはありませんでした。
でも、ある時その人に聖書を買うことを勧められました。 そして、すぐ聖書を買いました。 その人の勧めですぐ聖書を買いはしたものの、 2年間それを読むことはありませんでした。
それからこのようになりました。 そのころは、私は、もっと成長したい、正しく生きたいと思っていました。 その後、その人を通じてこの教会の人が私の会社に来ました。 私たちの会社に建物の修理に来たその人の仕事の後に、彼は神様について話し始めました。 その話の後、ひとつの言葉が私の心に残りました。 それは、「神様が保証人だから何の心配もない。」というものでした。 その人はそれをとても嬉しそうに話してくれたので、本当にそう思っていると感じました。 それから、教会に誘われ、携帯電話の番号も教えてくれました。 そして私は、日曜日、教会にきて、また、その人の家で毎週行われている集会に参加しました。 その集会の人達は、いつもとても温かく迎えてくれました。
数ヶ月後、この教会で聖書についての学びの機会を与えられました。 十字架については、以前から知ってはいました。 聖書の学びによって、私は神様に、私の罪が裁かれないために、 神様を信じることが大事であることを学びました。 神様を信じることによって、私の罪は赦され、神様の義が与えられました。 神様であるイエス様は、私のために御自身が十字架にかかることにより、 私の罪の罰を負ってくださり、その裁きから解放してくださいました。 イエスさまは、罪と死を打ち破り復活される力を証明されました。
聖書にこうあります。 しかし私たちがまだ罪人であったとき、 キリストが私たちのために死んでくださったことにより、 神は私たちに対する御自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ5:8) あなたがたは心を騒がしてはなりません。 神を信じ、またわたしを信じなさい。(ヨハネ14:1)
私はだんだん、神様がしてくださったこの驚くばかりのことをわかってきました。 それから、神様は私の友人の抱える問題に対して目に見える形で解決を与えてくれました。 一人は病気が癒されました。 そしてまたもう一人は、仕事の環境のことを祈っていたとき、 神様はすぐにこたえてくれました。 私は、神様がとても現実的な方法で人生を変えてくれるのを見て、 感謝の気持ちで一杯になりました。
神様に祈ることによって、最善が与えられる。
今、私の心には、神様の平安があります。
私は、キリスト教とは無縁の普通の日本人家庭の長女として生まれました。幼少の頃は、多くの親戚から愛され、 自信にあふれ積極的な面もありましたが、一方で、不安定な大人の世界で不安と恐れをかかえて生活していたと思 います。
小学校2年生のとき、近所の友達からきれいな聖書の言葉と絵が描かれたカードをもらったのが、きっかけで、近 くの教会に行くようになりました。そこで、初めて、イエスキリストという神様について知り、またこの方にお祈 りすることができることを知りました。それまでの私は、心が痛む時、不安な時、失敗した時などは、おじさんに おそわった、「1から10まで数えるとイヤな思いが消える」、というおまじない的なことをしていました。それ によって、自分を慰めたり、勇気づけたり、心の切り替えをしていたのです。でも、教会で、イエス様の話しを聞 いた時から、私は、この方になんでも祈ることができることを知りました。そして、人に見せたくない心の内を、 イエス様に、祈りを通して打ち明けるようになりました。また「恐れるな」との聖書の力強い言葉も私の心の支え となっていきました。教会学校の先生方の温かい励ましと愛も今思えばどんなにか私の支えだったことでしょうか 。
しかし、中学になっても、イエスキリストの救いという意味を、充分には理解できないでいました。もちろん、自 分の罪深さはよ〜くわかるし、神様は心の支えで聖書は生きる教訓でしたが、今一、十字架が私のため、と実感が なかったのです。
そんな私に大きな転機が訪れたのは、高校3年のことです。それまで、私はバスケットという部活動に没頭する生 活を送っていました。大きな大会にも出場する半端でないクラブだったので、まさにバスケに献身してしまった2 年間でした。当時の私は、学校、部活第一主義で、そのため礼拝に出られなくてもやむを得ないと、なんの疑問も なく思っていました。困ったときの神頼み的信仰でしかなかたのです。しかし、いざ部活を引退すると、その心は 虚脱感で空しく、自分は一体何を目指しているのかわからなくなりました。教会学校育ちの私は、当然のように、 教会に足を運び、「もう一度神様に真剣に向き合おう」と主の御心を求めるようになりました。その時心に響いた 聖書の言葉は、「だから、神の国とその義とを第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはす べて与えられます。」マタイ6:33 でした。 私は「揺るがないものがほしい、今度こそは、自分勝手な信仰 ではなくて、誠実に神様に従いたい」と思い、私の人生を主にお委ねし、洗礼を受けました。高校3年の9月でし た。
その後の事です。今日のように、洗礼のお証しを準備して祈っていたとき、それまでにない、主の臨在に包まれて 不思議な体験をしました。祈りの中で、それまで私を面倒見てきてくださった、教会学校の先生の顔が走馬灯のよ うに私の脳裏に映し出されて、最後に十字架にかかったイエス様の姿がはっきりと見えました。そして「私は今ま で、多くの人を通してあなたを愛してきたのだよ、そして今、私はあなたのために、こうして十字架にいるよ」と 優しく語っておられるようでした。私は聖霊様の愛に打たれて涙が止まらなくなりました。それまで十字架の恵み というものがぼんやりとしか分からなかった私でしたが、初めて聖霊様により、イエス様がどれほど私を愛してい てくださったかが実感できました。そして、イエス様が私の罪のために十字架にかかられたのだという事を悟る事 ができました。また、神様を信じているといいながら、自分勝手な信じ方でしかないことに気づきました。部活中 心で神様中心でなくても心を痛めることない、その程度の信じ方を心から悔いました。神様に心から従って、神様 を本当に主とする生活をしたい、と思いました。
このことを経験した私は、目に映るもの全てが新しい、主と共に歩む事に心からの幸せを感じていました。また、 高校3年の受験前の時期でしたが、よくクラスメートにイエスさまの話しをするようになり、聖書をあげたりして いました。友人の中には私の話しに耳を傾けてくれて、教会に来てくれた友達もいました。
私にとって、神様は、もはや心の支えというような「お守り」的存在ではなく、神様は本当に私の「主」になりま した。このお方あっての自分だということがよく分かるようになりました。
その後も、「神の国を第一に求めなさい。そうすれば、、、」という救いのみ言葉が私の生き方そのものとなり、 シンプルですが、単純に信じてその通りの祝福を数え切れないほど体験しました。外国で一人暮らしの生活に困っ たときも、学費のことで行き詰ったときも、不思議と道が開かれました。「私はどんな生活でも、どんな道に進も うとも、あなたが閉ざすなら、それに従うし、あなたが開くならそれに進みます。主の御心に従います」と委ねて 行くとき、心に平安があり、喜びがありました。
イエスさまに救われ、赦され、愛され、イエス様を「主」として従う人生は本当に楽しく、幸せです。この平安と
喜びをひとりでも多くの人にこれからも証ししていくこと、これが私の一番の願いです。主に感謝します。
就職して最初の赴任地、札幌での出来事です。私は青年期は宗教的なことを一切排除し、自分の確固たる信念や価値観、道徳観、人生観もない好き勝手な日々を送っていました。仕事は楽しかったのですが、休みになると目的が持てずに時間をもてあまし、借金をしてまで競馬やパチンコにはまっているという有様でした。自分が何を目指して生きていいのか答えが見つからず、満たされない気持ちでいっぱいでした。 職場に、二人のクリスチャンがいました。一人は同じ年で、クリスチャンホームで育ったH姉妹。もう一人は、牧師夫人。同じ年の人とは、ペアを組んで仕事をしていました。
そんなある日、H姉妹に、「教会でフルートを吹くんだけど、聞きに来ない?」と誘われました。
当時の自分にとって教会に行くということは、想像もつかないことでした。
宗教にすがるというのは、自分が弱い証拠だ!と思っていましたし、「教会に行ったら、入信を勧誘されるのではないか?」「しつこく誘われ続けるのではないか?」という思いがよぎりました。
しかし、二人のクリスチャンのように、穏やかで清楚な感じの人間に対する憧れもちょっと感じ始めていたことと、H姉妹とうまく仕事をし始めていたので信頼関係を崩したくないという気持ちで教会へと足を向けました。
しかし、最初に聞いた牧師先生のメッセージで躓きます。
「イエス・キリストだけが、人の罪を背負い赦すことができる」
「私だって、十字架にかかって、他人の罪を赦すために死ぬ覚悟はある」
走れメロス!を想像しながら、礼拝後、牧師夫人に食って掛かりました。
自分に汚い部分があることをすっかり棚に上げ、自分の生き方にはまったく問題がないと思っていたのです。
その後も、何度か教会に足を運びました。交際していたノンクリスチャンの女性と一緒に行くこともありました。しかし、とうとう自分の本当の汚さに気づくときがきました。交際していた女性を裏切ったのです。他に好きな女性ができたから、というそんな身勝手な理由でした。しかし、その裏切りは、自分自身の心に大きなしこりを残しました。自分には何の汚い点もないと思っていたのに、人を傷つけてしまった。
そのことをきっかけに、過去に自分が犯してきたことが走馬灯のように思い出されました。1時間以上話しても語りきれないほどです。
自分がどんなに汚く、自分勝手で、人を傷つけてきたか悟りました。
自分が強いと思っていたのは、過信であり、本当は弱く、小さく、汚い者である。つまり、私自身が、牧師先生が言っていた「罪ある者」だったのです。この自分の罪をも背負って、イエス様は十字架にかかってくださった。自分ではどんな方法をとっても、罪を振り払うことはできません。しかし、神様は、そんな自分の罪を、ひとり子イエス様に負わせて私を赦してくださる!とおっしゃる。本当にそれこそ神頼み!でした。自分の罪に苦しんでいたときに、また、私は教会へと自然と足が向くようになっていました。
自分の力では、もうどうすることもできないと思ったとき、神様は、次のみことばをもって私を導いてくださいました。
もし、私たちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しい方ですから、その罪をゆるし、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。”
(Tヨハネ1:9) その神様の愛のメッセージを全身で感じてから、私の物事に対する考え方は変わっていきました。
その後すぐ洗礼を受けた私は、自分が正しい、自分の力で何でも解決できる、という考えから、イエス様の生き方に近づきたいという思いに変えられていきました。当時、職場でいつも陰口をたたかれ、どうしても許せない同僚がいました。「自分を攻める相手をも愛するイエス様」の生き方に触れ、徐々にその人を許せるようになっていきました。どうして陰口をたたくんだ!という気持ちではなく、相手を許し、愛するつもりで接することができるようになると、その後は、不思議と、陰口をたたかれることもなくなっていきました。
もちろん、今でも仕事上、人間関係のトラブルはよく起こります。そんなとき、相手を攻める気持ちを持ったり、怒りがしばらく続くこともあります。しかし、そのトラブルを通じて、神様は何か私にメッセージを送ってくださっているに違いない。そして、御声を聞こうと必死に祈っている間に怒りが収まっているということは、数え切れません。本当に神様に愛されているんだな、と実感する瞬間です。
新天地のこの教会では、養育コースを受けさせていただいています。 学びと分かち合いの大切さを実感させていただいています。毎朝のディボーションも習慣となり、学びを通じて、新しい地での役割を神様から与えられようとしています。ともすると自分の力に頼りがちになりますが、毎朝ディボーションをすることで、神様に聞き従うことをいつも諭していただけるようになりました。いつも神様に愛されている実感がある分、神様の栄光を現せるようになりたいと思います。
“だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについてきなさい。”
自分の罪を赦していただくための十字架から、今は、自分の役割、使命としての十字架を祈り、求めています。
私は雷がなると蚊帳をつり「ナンマンダブ」と唱える祖母に育てられました。祖母はとても可愛がってくれました。昔は嫁より姑のほうが権力が強かったので、祖母を盾にしていれば母にしかられることも無く要領よく生きていたようです。小学2年の頃のことです。母に買い物を頼まれたのですが途中でお金を落としてしまい買い物が出来ませんでした。そんな時も祖母に謝ってもらう子でした。その祖母が6年生のとき亡くなりました。体が弱かった妹と父母の3人の絆は強かったのですが、親以上だった祖母が亡くなってからの私はひとりぼっちでした。依頼心ばかり強く、消極的な子供に育ってしまった私には母の一言が厳しく思え、自分が悪いのに勝手にひがみ「やっぱり私は橋の下で拾われた子なのだろうか」と真剣に思い、夜になると涙があふれ出て声を出さずに泣き寝入りする日が続きました。祖母がしていたように仏壇の前に座り祈ってみましたが、どんなに祈っても何の答えもありませんでした。偶像礼拝では心の平安は無く孤独感に浸ったままでした。高校時代に「十戒」の映画を見てものすごい感動を覚え、何かが見えてきたように思いました。大学受験のとき同志社大学を強く希望したのですが、女の子だから家から通えるところ以外は駄目と受験すら許されず、仕方なく娘時代は「汚れなき悪戯」「禁じられた遊び」「ベンハー」「偉大なる生涯」etc、洋画ばやりのこともありましたが、神様に関係ある映画を選んで見て過ごしていました。しかしそれ以上を追求するものではありませんでした。
こんな私に30歳のとき、神様の福音が届きました。母のすすめで結婚し、子供が授かっていたのですが、それは出産直前のことでした。レンブラントの聖画「天使のいる聖家族」に描かれているようなとても可愛い子供の天使たちが背中についた白い羽根をひらひらさせ、輝くような笑顔で私の近くに寄って来たり、遠ざかったりしながら舞っている夢でした。なんとも表現できない恵まれた気持ちに満たされたのですが、生きていらっしゃる神様の存在を知らない私にはあまりにも可愛い天使たちでしたから「女の子が生まれるのかしら」と思いました。ところが生まれたのは男の子でした。ではあの夢は何だったんだろうかと思いましたが、その頃の私には神様の御心を知るよしもなく、神様に選んでいただいた者になったことにも気付きませんでした。
主人が挑戦していた税理士の資格を早く取って欲しくて、私が働こうと思い11ヶ月だった息子を預かっていただこうと天使幼稚園にお願いにあがりました。牧師夫人であった園長先生のお人柄に触れたとき、この安らぎはどこからくるのだろうかと不思議に思いました。同園長先生のお世話で黎明保育園に就職させていただけることになりました。保母資格が一部合格の時点でしたのに本当に感謝なことでした。神様のお導き以外のなにものでもありません。「神様のなさることは時にかなって美しい」とありますが、神様は保母としての道を開いて下さり、以来23年間現在に至るまで天使のような子供たちと一緒に過ごさせて頂いております。
キリスト教保育をされている黎明保育園では土曜日には全園児が集まって合同礼拝があり、聖書のお話を聞きます。はじめて子供たちと一緒に参加したとき神様のことを全くといっていいほど知らなかった私には別世界のことのようでした。その当時まだ50才代でいらした大園長先生の、子供たちよりオクターブ高い美しい賛美がこころよく流れ、静まって真剣に聞き入っている子供たちに語られる聖書のお話。今となっては聖書のどの部分だったか覚えていませんが、天使の夢を見たときのような恵まれた気持ちに満たされ、祖母のふところに抱かれたような心の安らぎを感じました。もっと神様のことが知りたくて「主が私の手をとってくださいます」の賛美歌に励まされ教会へ通うようになりました。「私たちの罪のために十字架につけられたイエス様の血潮によって天国へ行けるものとしてくださったこと」また「イエス様を信じるものは永遠のいのちを得るのです」とのみことばに「主が共にいてくださる、もうひとりぼっちではない」と思うとさびしくなくなり、私もイエス様の御国に入れていただける日まで頑張ろうと生きる勇気が湧いてきました。こうして12才のときから20年間探し求めていた生きていらっしゃる神様の存在を知り、心の安らぎを得ました。
しかし傲慢な私は自分の罪が何であるかに気付こうとせず、また熱心な仏教徒である両親に洗礼を受けたいことを言い出すことが出来なかったこともあり,小さな灯火だけをとぼして、くすぶっていること13年。この間に教会へは通いつづけているのにかたくなで心を開こうとしない私に神様は主人との離別という女として一番悲しい試練を通されました。私が神様の栄光を見るための御計画でした。こんな時にも黎明保育園で働かせていただき,経済的に支えられ,息子を育てさせていただきました。神様は試練の時にも飢え渇くことなく養ってくださいました。井上民子牧師先生より「あなたが救われれば、あなたもあなたの家族も救われます」とのみことばをいただき、昭和61年7月18日井上薫牧師先生より受洗の恵みに預かることが出来ました。
少女時代にあふれ出た寂しさの涙ではなく喜びに満ちた感激の涙があふれ出ました。聖書が宝物となり、毎日通読しているうちにイエス様が流してくださった血潮は私の罪のためだったことに気付かされました。
祖母が死んでからは、母を心の底で憎んでいることに気付きました。中学校で卒業し,社会人になる子が半数いた時代に足が棒になるほど働いて短大まで出し,学校の先生の資格や栄養士の資格まで取らしてもらった母の愛を当たり前に思い,反抗ばかりしてきた罪の深さにやっと気付きました。そんな私ですから家庭を持っても自分の寂しさからの脱出のことばかり考え,税理士資格がうまくいかず苦しんでいる主人にかける言葉も知らず,お酒が増え,酒乱状態にしてしまい離別の時を向かえました。井上民子牧師先生に助けを求め,私の罪深さを悔い改め,主人が無事にいてくれますようにとよく祈っていただきました。神の子としてその道を歩むものとしていただき,1歩を踏み出したことにより,神様はたくさんの恵みを与えてくださいました。受洗の翌年の昭和62年には息子の公立高校進学。そして、私の趣味の油絵が白日会本展で初入選をし,専門家と一緒に東京上野の都立美術館に展示していただけたのです。思ってもいない恵みでした。さらにこの年には別れた主人が税理士の資格を取得していたのです。50才を越えて、もうだめかと思っていた最後の1科目が受かったのでした。昭和53年に別れて以来音信不通になっていた父親の消息を息子が知りたがり,主人の実家を訪ねてそのことを知りました。資格が取れず生活に疲れて別れただけにその喜びはひとしおでした。世間的には私が親と一緒に主人を追い出したことだけに本当に良かったと神様に感謝しました。息子も父親のいない寂しい子にしてしまいました。名古屋市の水泳大会で新記録を出したとき,高校の合格発表の時など,男の子ですから父親に誉めてもらいたかったことでしょう。
現在も私達は主人は東京,息子はカナダ,私は名古屋とバラバラに生活していますが、こんなものをも神様は憐れみ守っていてくださいます。これからもすべてをまかせて歩むことのできる平安の中に生かされている私です。感謝して過ごす毎日です。
以前大園長先生が聖歌歌手となられた胡美芳さんを黎明保育園に招かれました。聖書に手を置き祈ってから聖歌402「おかに立てる、あらけずりの」を賛美されたことを思い出します。「十字架のなやみはわが罪のためなり」と、美しい歌声と共に私の心に深く残っています。私も趣味から始めたつたないものですが,絵を通して生きていらっしゃる神様の存在を知らせ,一人でも多くの人が救われるよう祈って描きつづけたいと思っています。
また私の罪のために家庭を崩壊してしまったことを私の十字架として一生背負い,謙遜の心を持って知恵ある神様の御声に聞き従っていきたいと思っております。
人の一生は過ぎてしまえば短いものです。たった一度の大切な人生です。私のように自分の罪が何であるかに気付かず,女の幸せを取り逃がしてしまったものすらをも救いに導き,平安を下さった愛なる神様の御声に従って恵みと平安のうちに過ごそうではありませんか。
「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じるものがひとりとして滅びることなく,永遠のいのちをもつためです」ヨハネ3:16とあります。
やさしいイエス様がもう手を差し伸べていてくださいます。共に天国で再会できるものとなりませんか?
8年前の夏、イエス・キリストに出会いました。それは、当時留学していた、アメリカの小さな街での出来事でした
。
私は在日外国人3世として、日本と完全な日本社会の中で生まれ育ちました。子供の頃は寝ても覚めてもスポーツを
することに夢中、趣味はプロ野球観戦、男の子よりドッジボールが強く、将来は絶対にスポーツ選手になることを
疑わなかった、たくましく能天気な子でした。
文字通り毎日運動ばかりして過ごしていましたが、14歳の時、陸上の大会で大怪我をしてから、私の人生は一変し ていくことになりました。事故から数ヶ月経ってもなかなかケガが治らず、一人取り残されたあせりを感じ始めて いた頃、いつもと同じようにふとんの上で天井を眺めていると、『何で私は生きているんだろう』という疑問が、 とてつもなく恐ろしく心に立ちはだかってきました。『足が治ったらまた走れるんだから―。』 そう自分に言い 聞かせ、くじけては立ち直り、立ち直ってはくじけ、松葉杖と登校拒否を友達に過ごした中学・高校時代でした。 結局5年間、誤診や手術ミスが続き、ケガが完治することはありませんでした。
『もう2度と走れない。私の足は治らない−。』 それからの私は『消えてなくなりたい衝動』に幾度も頭をおかし くされながら、常に何か夢や目標を追いかけることで絶望と虚しさを封じ込めようと生きてきました。恋愛、勉強 、旅行、留学、就職、思いつくまま、マスコミに流されるまま、あらゆるものを夢中に追いかけました。でも何を やっても、心の奥にある虚しさがなくなることはありませんでした。8年前、最後の何かを探しにもう一度以前留学 していた街を訪れた時、11年間探し続けた答えにたどり着いたと感じていました。『生きていれば人は私を苦しめる。私が今日死んでも誰も困らない、何も変わらない。私が生きる意味など存在しない』 『生まれ変わりたくなんかない、ただ消えてなくなりたい』 私は生きる意欲を完全に失いかけていました。
聖書には、神様は神様を求めない者にも手を差し伸べて下さると書いてありますが、自分の探していた答えが神様 にあるとは思いもよらなかった私にも、その優しい手がすぐ近くにまで迫っていました。その夏、精神的にかなり 追い詰められていく日々の中で、私は留学時代の友達を通して、ひとりのドイツ人女性と出会っていました。名前 をバーバラと言い、私が25歳にして生まれて初めて会ったクリスチャンでした。ある日バーバラは、初対面に限り なく近い私をスターバックスに誘い出し、何も返事を返さない相手を前に、1時間半ずっと神様のことを話していま した。その時の話の内容はよく分からず、私自身も特に神様について興味もなかったのですが、ただ「なおこ、神 様だけが助けてくれるよ」と言った彼女の言葉がずっと心に残っていました。
バーバラとの出会いをきっかけに、突如、周りを見渡せば誰も彼もクリスチャンという生活になっていました。そ してその中で、「何でこの人たちはこんなに満たされた顔をしているのだろう」と、感じるようになっていました 。「みんな聖書を読んでいる」、そのことに気付くのにあまり時間は掛かりませんでした。それから、聖書という ものに初めて目を通すことになりました。読み始めて、あっという間にとりこになりました。「神が平安を与えて くる。心を騒がしてはならない。この喜びは誰にも奪えない」という言葉の数々に、嬉しさと感動で涙が洪水のよ うに溢れてきました。こんなことを言う人は誰だろうと、強烈に聖書に惹かれていきました。それからひと月半、 バーバラが毎日聖書と神様について教えてくれました。
神様はひとり、神様はこの世のすべてのものを造った。神様は愛、神様が人の形を取って地上に来てくれたのがイ エス。イエス様は十字架で人の罪の身代わりになって死んでくれた救い主。神様は聖書を通して、「私」が罪人だ から世の中に苦しみが増えるのだとはっきり示されました。それまで全部人のせいにして、自分ばかりをかわいそ うだと思ってきた自分の醜い姿がはっきりと自覚できた時でした。すべてがまったく初めて聞くことで十字架のこ とはおとぎ話のようでしたが、聖書を通して深い安心と喜びを与えてくれた神様の存在は、私の心の中で疑う余地 が残っていませんでした。難しいことは分からないまま、自分の罪を神様に告白し、イエス様を信じて従って生き ていく人生を選択しました。
ありのままの私の存在が喜びだと言ってくれる神様を知ってから、韓国人として、何の取り柄もない者として、ど れだけ泣き叫んでもどうにもならなかった孤独も絶望も劣等感も少しづつ姿を消していきました。ずっと許せなか った数々の人達が許せ、様々な憎しみや怒りから開放されて生きる自由を与えられました。10年以上どんな医者も 治せなかった情緒不安も偏頭痛も、神様がいつの間にか治して下さっていました。
18歳の時に受けた最後の手術から約15年が経過しました。あの時のケガは私の左ひざに小さな爆弾として残り、圧
力が掛かると激痛と共に数週間歩けなくなる人生になりました。去年、ある人から、今の医療技術なら私のケガが
治るかもしれないと知らされました。1年間のリハビリで走り出せるようになるそうだと言われ、一瞬、動揺しまし
た。でもすぐに、『長く生きたとしてもあと40−50 年。天国に行ったら、また思いっきり走ったりジャンプしたり
できるようになる。それまで待てるからいいや。』と、笑って思えました。
「苦しみに遭ったことは私にとって幸いなことでした。」
そうして私は、神を知ることができました。
Copyright (c) Nagoya Glorious Chapel 2006 : 468-0066 名古屋市天白区元八事5-116 | 052-833-1092 | 大牧師:イエス・キリスト 主任牧師:岡本伸之